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代表者の一言

令和3年4月代表者の一言

令和2年度を振り返りますと、常に「健康管理」「衛生管理」の徹底を最重要事項として保育所を運営したことが、まず思い浮かびます。季節はいつもどおり「春夏秋冬」と巡ったはずなのですが、四季の移り変わりよりも、新型コロナのり患者数や様々なコロナに関するニュースに、一喜一憂する日々でした。そして何よりも、このような非日常の毎日であったにもかかわらず、子ども達の笑顔に支えられ、普段とさほど変わらぬ保育環境を維持させていただけたことに、園児、園児の関係者の皆様、ご支援くださった行政の方々、そして小鳩グループの職員に、改めて心より感謝申し上げます。
令和3年3月11日、東日本大震災から10年が経過しました。この震災、津波によって犠牲になられた方々や未だ日常が戻らない被災者の方々のドキュメンタリー番組を視聴する度に、想像を超える大惨事であったと再認識いたします。当時の小鳩グループは、南浦和の1園のみでしたが、震災の日の明朝までには、園児の保護者、ご親戚、知人の方々らを送迎者として、園児全員を無事引き渡すことができたと聞いております。あのような大災害時において、何かしら相互扶助的に、人と人とが助け合って子ども達の安全を守ることができたのは、日頃の危機管理と子ども達を見守ってくださる周りの方々の高い意識のお蔭だったと感じ受けとめています。
あの日、私は、田端での会議中に大地震に遭遇しました。その後の余震が繰り返される中、長い時間家族と連絡が取れず、それまで経験したことがない不安を抱いたことを、今でも思い出します。当時は三郷市に住んでいました。中学生の娘と高校生の息子の安否が確認できない間は、無事を確かに信じながらも、インフラが整うことをひたすら受け身で待つほかありませんでした。この頃は伝言ダイヤルもさして認知されておらず、電話、殊に携帯電話は壊滅的といえるほどつながりませんでしたので、昭和の時代に戻ったかのように、人と人との距離が遠く感じたものです。幸い、息子はテスト休みで友人と自宅で過ごしており、比較的早期に固定電話で安否確認ができましたが、娘は、高輪台にある学校から部活を終えて帰宅中であり、市川辺りで長時間電車に閉じ込められてしまいました。ようやく降車し、長蛇の列の公衆電話に並び、私の携帯電話に電話がつながった時には、地震発生から6時間以上が経っていました。つながった電話の向こうで、娘は「怖い」「どうすればいいの?」を連発していて、電話では何もしてあげられないもどかしさ、もし何かあったらどうしようという不安で、娘との距離をあれほどまでに感じたことはありませんでした。私自身は居場所を変えず留まり、その後都心から徐々に動き始めた地下鉄を乗り継ぎ、深夜0時に娘と再会できた時の感動は今でも忘れません。
あれから10年。私達は、被災したときに備えて、備蓄の確保、避難経路や避難場所の確認、関係者の皆様への安否の伝達方法を常に意識しながら、災害対策について話し合っています。いざというときには、一早く安全な場所に避難した上で、子ども達の安否を「伝言ダイヤル」でお伝えします。皆様におかれましても、緊急時に備え、是非、伝言ダイヤルの操作方法を日頃から確認くださいますようお願いいたします。私の二人の子どもはいずれも社会人となり、今では自分自身で判断し、適切な行動をとることができるようになっていますが、未成年の子ども達がこのような非常時に家族と長時間離れることは、心に傷を負ってしまうほど不安なことです。万が一の災害時でも子ども達が不安を感じないような環境を確保することに努めなくてはなりません。手と手を取り合って子ども達の幸せな環境を整えることを義務の一として、人と人との「絆」を守り続けることに尽力したいと思います。いつも人に優しく、向き合い、受けとめて寄り添うという保育の信念同様に、未来に向かってはばたく子ども達の安全も守っていきます。
私事、今年、長男が伴侶を迎えます。10年という月日の中で、誰しもがそれぞれの生きている証を残し続けていることに感動します。生きていることは本当に素晴らしいです。震災の犠牲者の方々に代わり、今生きている者が、人との関わりでたくさんの愛情を生み、絆を深めあう社会を造り上げていく、我々は「保育」を通して社会に貢献したいとの思いです。
4月にはまた、新しいご縁をいただきます。子ども達が未来を育む力を身に付けることができるような保育に努め、今年度もたくさんの絆を結んで参りたいと思います。

小鳩グループ代表 山本 育子

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