代表者の一言
令和5年度6月代表者の一言
今年の梅雨入りは例年並みでしたが、6月2日の台風2号襲来の際はとても驚かされました。翌朝、群馬に向かう予定があり東京駅を訪れたところ、台風に足止めされ駅で一夜を過ごしたのであろう疲弊した様子の家族連れやビジネスマンらが、ニュースで見るよりも多く、構内に溢れていたのです。そして、驚きと同時に、インフラ網の麻痺が及ぼす影響の大きさと、有事の際に子どもや高齢者、支援を要する方々の避難場所を確保することの大切さを感じました。保育園では、災害を想定した避難訓練を日常的に実施し、防災備蓄、避難経路、避難体制等について確認しています。「安全の確保」は保育所運営の要諦の一であり、それを繰り返し職員らに周知徹底するのは私の役割です。保育園は生活の場ですから、事故や災害は避けられないものと想定し、いざという時の安全を確保し、最善の対応策を判断・実行できるよう引き続き取り組んで参ります。
大学時代の友人で集まると、昔話に花が咲きます。子どもが成長して独立し、結婚の話や最近では「孫」の話で盛り上がります。介護の話に時にしんみりすることもあります。また、孫にはできることが自分の子どもにはできなかったのよね…、という話もよく出てきます。私自身にはまだ孫はいませんが、子どもに対して申し訳ないと今でも思い出す場面はあります。仕事や家事などで心が不安定になり、子どもの想定外の行動を強く諫めてしまったことがあることは否めません。
そんな私も、今では周りの方々に、保育の真髄、保育者のあるべき姿、子ども達を認め信じることの必要性を教示する側の立場になりました。これは、学びと経験を通じて、未来を創る子ども達を率先して守り、育み、それを推進することが私の宿命だと思ったからです。私自身も、保育を学べば学ぶほどその素晴らしさに気付きますし、職員らがこの仕事の意味と意義をしっかり受け止めてくれること、仕事を楽しいと思ってくれることにも働き甲斐を感じます。
もっとも、昔日のプライベートの子育てでは、特に1人目の子のときには、この子が3歳になるまでどんなに忙しくても育児日記をつけよう、親として及第点以上の優等生になろうと意識していました。子育ての偏差値は、親である自分自身が軸であり、子どもの評価=親の評価という意識で一生懸命でした。育児に関して理想の方向性を抱いていたように記憶しています。ところが、2人目の子となると、子どもの成長に寄り添っていくという形に変わりました。これは多分に多忙から来た副産物であり、また、保育園の先生からの声掛けのおかげでもありました。次第に子ども自身が持つ成長力に寄り添うことの大切さを知り、子ども自身が模索し「できたよ」と言ったときに大いに認めてあげる、その繰り返しの中で「本当にできること」を見い出していく自助・自律的な成長の素晴らしさが分かるようになりました。
私が4歳頃のことでしょうか、父が兄をひどく叱っていたシーンを覚えています。前後の記憶はほとんどなく、その部分だけ鮮明に覚えているのは、当時よほど衝撃を受けたからでしょう。私もそのようなシーンを作っていたのではないか、と省みます。子どもの評価=親の評価と捉えていたときに育った長男には、いまだに申し訳ない気持ちがあります。ただ、その後はいつも子どもへの信頼・信用を貫いてきましたし、結果として長男は成長し、素敵な伴侶にも出会えました。過去の子育ての失敗は消しゴムでは消せません。だからこそ、「今」を起点として子どもの本来の伸びゆく芽を守り育てるために最善の努力をしたい、やってみたいことを思いのままできる「子ども」の力が未来を創る源であり、その芽をもぎ取らないよう今でも努めたいと思っています。
先日、娘が急に「医学部に入りなおして医者になりたいな。」とつぶやきました。なんで?と聞くと、「本当は医者になりたかったけど「血」を見るのが嫌だったから。でも今だったらなれるかな…」と言うのです。私は「本当になりたいなら目指しなよ。今からでも遅くないよ。」と声を掛けました。自分探しの旅は人生いくらでも続きます。日常生活での親の役割は終了しましたが、子ども達がどんなに大きくなっても「やってみたい」という気持ちに寄り添えるような親、先生になって、後方支援をし続けていきたいと思います。
小鳩グループ 代表 山本 育子
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