代表者の一言
令和元年11月の代表者の一言
10月は、各施設のメインイベントとも言える運動会が、週末ごとに予定されました。好天を願うものの、毎年、必ずどこかの施設の運動会が荒天による順延や屋内での縮小開催を余儀なくされます。このような場合、職員らは、早めに体制を切り替え、規模は小さくとも全員が楽しんで参加できるよう企画を変更します。いずれの施設でも、お子様だけでなくご家族の皆様にとっても、良い思い出になったのではと拝察します。私自身、全ての運動会への出席は叶いませんが、今年は新設園を中心に参加し、園児らの可愛らしい笑顔とたくさんの声援に、本年もまた大きな感動の場面を共有させてもらいました。
先日、保育で使わない言葉「何でそんなことしたの?」について、学生達に話をする機会がありました。子どもは白い画用紙のように真っさらで生まれ、人々の愛情と信頼関係と取り巻く環境の中で、その芽を伸ばしていきます。「何でそんなことしたの?」ではなく、「そんなこと」をして経験を積み重ねることが、子どもの成長のために意味あることなのです。遊び食べも落書きも、時におもちゃを崩すことにも、全て意味があります。信頼できる環境の下、多くの経験を重ねることで答えを見つけていくものです。成長して大きくなると、いずれルールの存在に気付き、自ら良し悪しを認知するようになります。とにかく、大人が制約し、大人の考える型にはめようとすると、子どもの伸びやかな芽は委縮してしまい、自ら考え行動するという主体性をどんどん欠けさせてしまうのです。
答えを知っている大人は、失敗をさせることが嫌だから、予め失敗を回避させようと行動してしまいます。でも、テストであれ何であれ、間違えて気付くことはたくさんあります。私も、この年齢になっても、相変わらず失敗や失態があります。取り返しのきく失敗であれば、自分の中で「気付き」と「学び」の機会だったと思うことにしています。監査で指摘をいただいたり、保護者の皆様からご意見・ご助言を頂戴したり、近隣の方からのクレームなども自らを改善するための意味ある事象と受けとめています。ですから、子ども達から「だからこんなことしなきゃよかったんだよ。」と言われたときには、「起きることには皆意味がある。」と切り返してきました。社会で起きることに意味なく起きるものはない、と考えています。それが悪しきことなら、二度とそのようなことをしないという気付きが生まれ、良いことと実感し、あるいは賞賛されたときには、そのことをどんどん広めていこうと受けとめます。子ども達も、この繰り返しで成長し人格を形成して、そして人と人の絆を深めていくのだと思います。子どもに好きなことをどんどんさせることが大切というのは、このことを指しているのでしょう。予め「これダメあれダメ」では、閉鎖的で受け身になってしまいます。自ら考え自ら行動する子に育てるためにも、保育園では「子どもの主体性」を重んじることに努めています。
私は、部下に対して「何でそんなことしたの?」と、おそらくは尋ねたことがありません。正に子どもに対してよく言っていたとおり、「起きることには皆意味がある。」と思うからです。失敗を追及するよりは、失敗ならば次からそのようなことがないように、自身で気付き、自ら理解し行動するよう促すことに大きな意味があると考えます。
思えば、私の人材マネジメント精神と保育の精神はとても似通っています。人を育む場面と学びは一生続きます。人は人と関わり、人が社会を作り上げていきます。未来にはばたく子ども達に対し、職員一同たくさんの関わりをもち、切磋琢磨しながら良い保育を生み出していきたいと思っております。
小鳩グループ代表 山本 育子
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