代表者の一言
令和8年2月代表者の一言
2月を迎え、寒さが一段と身に染みる季節になりました。猛暑の後は豪雪になるとの予測もあったところ、北日本などの豪雪地帯の皆様には日々の生活にご苦労があったこととお見舞い申し上げます。衆議院選挙の投票日には関東も雪景色となり、子ども達が作った雪だるまが街に佇む様子が印象的でした。
私事で恐縮ですが、長年この園だよりにも登場しておりました実母が、1月31日の早朝、90歳9か月で永眠いたしました。追悼の意を込めて、ここで少しだけ母への思いを綴らせてください。
年末年始、実家近くの温泉の家族風呂に、娘と三人で肩を並べて入りました。それが最後の旅の思い出となりました。亡くなる一週間前から体調が優れなかったようなのですが、1月末に「小鳩ナーサリースクール 南浦和」新園舎の竣工式があり、私が慌ただしくしていることを知っていた母は、自身の不調を伝えてきませんでした。いつもはすぐに返ってくる母のメールがなかったことが、今思えば一つのサインでした。
3年前に心臓に持病が見つかってから、症状はゆっくりと進行していたようです。毎月の検診には必ず立ち会っていましたので、昨年は山口と東京を12往復しましたが、それでも最期の時に寄り添えなかったことが、悔いとして心に残ります。
昨年4月の園だよりで、母が、「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と西行の辞世の句を口にしていたとお伝えしましたが、大好きな桜の季節は待たずして母は亡くなりました。いつものように父と布団を並べる中で、静かに息を引き取ったということです。亡くなる5日前に届いた「リンゴの皮をむくのがえらい(つらい)」というメールのとおり、4分の1だけ皮がむかれた大好きだったリンゴが冷蔵庫に残されていました。
翌2月1日の家族葬では、夫、子、孫、4人の曾孫、親戚、愛すべき家族に囲まれ、母は穏やかに旅立ちました。2月は「如月」、空を見上げると「望月」、母は満月に吸い込まれるように天に昇っていきました。
昨年の入院以来、弱気になると私を見て、「産んだ子が親になった。90歳にしてわかること。」と幾度となく言っていたこともあり、母と私、親と子を重ね合わせる想いで、「桜観院釋光麗」との法名を授けていただきました。家族のことを誰よりも案じ、自分のことは後回しにする、慈愛に満ちた人でした。園の竣工式や4月に予定している孫の結婚式について、「自分に何かあっても中止にしちゃいけんよ」と言い残す、最後まで家族の幸せを願う母でした。
遺品を整理すると、すぐわかる場所に兄と私の母子手帳が置いてあり、その手帳の間に、昭和57年の消印がある兄から私へのはがきが挟まれていました。当時共通一次試験の結果が芳しくなかった私に対して、私立大学の受験前に届いた合格への心得と大きな「TAKE IT EASY」との言葉。母がどのような思いでこのはがきを2つの手帳の間に挟んでいたのかと考えると、また涙がこぼれてしまいます。
「親の死は悲しいもの、だけどそれは一瞬じゃけ。また次の家族のために笑顔が出て、いつか忘れていくんよ」。秋頃から、母はそう語っていました。今、私が母から受け継いだこの声で、自分自身に語りかけると、まるで母が私に語り掛けてくれているかのように感じます。しばらくはこの声とともに、たくさんの思い出を語り合っていこうと思っています。
寒桜や、春の訪れを知らせる花々が咲き始めました。
母がよく口ずさんでいた歌「カチューシャ」に「君なき里にも春は忍び寄りぬ」とあります。目の前に近づく春。桜色の季節を待ちながら、母から受け取った「人を思う心」を胸に、これからも子ども達一人ひとりの成長を支え、子ども達が安心して過ごせる園づくりに努めようと気持ちを新たにしています。
小鳩グループの関係者の皆様のもとに喜びと幸せが広がりますよう、心からお祈り申し上げます。
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