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代表者の一言

令和5年度8月代表者の一言

 今年の夏は、コロナ禍前の4年前に戻ったように、園児の皆さんのご家族や職員、友人らから、旅行を楽しんだという話をよく聞きます。大規模なイベントも復活し、夏の風物詩である花火大会やお祭りを楽しまれた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。この時季、この場所でしか出会えないものを経験することについて、年を重ねるにつれ、素晴らしく尊いものと感じるようになりました。特に、神社仏閣、お祭りなど歴史あるものに関しては、背景や存在意義を学ぶと、その経験をより意味あるものとして感じることができます。旅先で直に触れることがなければ、知らなかったり、気づかなかったりしたのかなぁと思うと、この4年間は、人生の「落とし物」をしていたのではないかと考えてしまいます。これから更なる「落とし物」をしてしまわないよう、見分を深め、可能な限りを経験していきたいと思います。もちろん、旅に伴うものだけではなく、その時・その場所で出会える身近なものにももっと関心をもち、感謝の気持ちで関わることで、気付きを得て豊かで幸せな気持ちになれることがたくさんあります。何もしなければ何も起こりません。何かをすればきっと何かしらの「落とし物」を拾い上げることができるでしょう。

 年齢とともに、見返りを求めない奉仕の心が芽生えます。先日、民生委員を務めている友人から、家庭訪問をすると訪問先で買い物や手伝いや調べ物を頼まれると聞きました。これに対し、ある別の友人は「それは担当外だから、はっきり自分の担当じゃないと言うべき。」とアドバイスしていたのですが、私から「時間に余裕があって、自分が嫌じゃなければいいことじゃない?」と伝えたところ、その友人は「そうなの。徳を積んで、いいことが起きるのを待っているの。」とにっこり笑っていました。この言葉に触発され、私も時間と身体が許す限り「徳を積むこと」に努めたいと思いました。

 児童福祉もこれからの保育も、地域社会をつなげていく役割を担っています。数十年前の教育は、集団の中で「同じ」ことを美徳とし、学歴至上主義の画一的なものだったように受け止めています。その結果、個性が強く「同じ」ではない子ども達は、離脱し孤立してしまい、大人になると「独りぼっち」を好むようになってしまったと聞きます。最近の大学生は、学食で友人とご飯を食べず、コンビニでご飯を買って一人で食べることを好むそうですが、先のケースと異なり、いわゆる「共生」を見失っているような人が増えていることに危機感さえ覚えます。常に「一緒」にいるべきという意味ではなく、社会は、個々人が役割をもってつながっているということを十分理解できていない人が増えているということです。社会での役割は多種多様であって、それぞれの個性を重んじた個々の役割について、その力を発揮し、お互いに尊重し合ってつながっていくことの大切さを見失ってはなりません。「個」を尊重し、自己を愛し肯定し、自分自身の意思・意見を発し、その上でそれを周りが受け止め尊重し合って「共生」社会を確立していくことが、福祉のあり方として大きなテーマであると考えます。

 デジタル的な手段によって一人で何かを解決したとしても、往々にしてそれはその場限りのものです。単一的な線の関係ではなくて、複数の網目のような関係に支えられて、今まで生きてきた、生きてこられたことに気付くことで、友人のように「徳を積む」という気持ちになれるのでしょう。核家族どころか一人世帯が増えている社会にあって、困っている人に手が差し伸べられない社会より、徳を積む心を持てる社会を構築しなければなりません。大河ドラマ「どうする家康」のワンシーンに、家康が、自身は決して強い武士ではないが、献身的に支えてくれる人がたくさんいたから今の地位がある、といったことを述べるシーンがありました。江戸時代を長きにわたって司ることができたのは、寛大な心と徳を積み「共生」する力をもっていたことが一因なのだと思います。

 私達は、これからも子ども達に、デジタル社会の中で見失いがちな「自身を愛し、共に生きることの素晴らしさ」を伝え続け、彼らがそれを受け止めていくことができるよう、日々の保育に務めて参ります。

 

小鳩グループ代表 山本 育子

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