平成29年11月の代表者の一言

10月の三連休に帰郷した際、久しぶりに朝からゆっくりテレビを見ていると、故ダイアナ妃について、彼女の二人の息子が「今でも母『ダイアナ』を心から愛し尊敬している。」と語る感動的な特別番組が放映されていました。この番組では、ダイアナ妃が二人の子どもを授かった後も慈善活動を中心に多くの時間を公務に費やす多忙な母であったこと、だからこそ離れているときはいつも子ども達に連絡を欠かさず、一緒にいるときは童心に戻ってはしゃいだりして、共に過ごす時間を大切にしていたと語られていました。

彼女は、幼少期の子ども達が愛情をたくさん受けることの大切さを重く受け留めていて、自身の子に限らず多くの子ども達に愛情が注がれるよう、慈善活動を通じて福祉の理念を社会に伝えていたそうです。彼女の考えに共感することがあまりにも多く、私自身の思いと重なることもあり、思わず涙が出てしまいました。恐らく彼女は、いつでもどこにいても愛情を子ども達に注いで、遠くからでも常に愛し見守っていたのだろうと想像します。そして、死後20年を経た今、その気持ちが二人の息子に確かに伝わっていて、彼らは母の愛に包まれていたから今があると感謝していました。

当園にお子様を預けられている皆様も、お子様と一緒に過ごせる時間は少なくても、離れたところから子どもを愛おしく思い、一緒に過ごす貴重な時間を何よりも大切に過ごされていることでしょう。私自身は、下の娘が小学三年生の時に「お母さん、もっと仕事をしてもいいんだよ。」と言われて、43歳で転職したときを思い出します。それまでは、ほぼ定時に退社し、仕事が溜まっていると休日に対応するなどして、できるだけ子どもと一緒にいる時間を最優先にしていました。けれども、転職後は予想以上に仕事に時間を拘束され、子ども達とは電話での会話が多くなり、その短い会話の中で一生懸命子どもに対して愛情と思いを伝えるようにしていました。中学生ともなると徐々に会話が減りメールの返信も少なくなりつつも、別々に過ごす時間が多いからこそ、私からの「愛情コール」と「愛情メール」は欠かさず、保護者が参画するイベントにはできるだけ出席し、長期休みは必ず子ども達中心の余暇を過ごすようにしていました。もちろん、仕事も弱音を吐かず取り組みました。転職後、自身の仕事のスタイルを崩すことなく二人の子が成人するところまできたのは、子ども達と関係者の皆様の支えがあったからこそと、本当に感謝しています。そして、子ども達は、そんな母親の背中を見てくれていたと信じています。

故ダイアナ妃の二人の息子は、彼女が亡くなった事故当日の母からの電話に対し、遊びに忙しく早く切りたいという気持ちがあったことを後悔していました。そして、今では、母である彼女を心から尊敬し、人々にその教えの素晴らしさを伝えているそうです。これは、彼女が慈善活動に勤しみながら、いかに子ども達との時間を大切にしていたかを示す証なのかもしれません。彼女の死は社会に沢山の疑問符と教訓を残しましたが、大人になった二人の息子が「様々な苦境に直面したときには、母親の愛情に支えられて乗り越えてきた。」と語っていたことが、最も印象的でした。

故ダイアナ妃は、息子がそれぞれ14歳と12歳のときにこの世を去りましたが、男の子は、中学生の声変りを始めるころからの反抗期と高校1、2年生で巣立ちに挑むころの反抗期の二つの波を経て20歳半ばにしてようやく大人らしくなります。他方、女の子は早くから大人びて20歳も過ぎれば対等に親のことを評価し、ときには改善まで求めてきたりします。私の二人の子も、だんだん「社会」という現実が近づくなか「親への感謝」を垣間見せてくれるようになり、最近は、0歳児から保育園に預けて一緒にいる時間が少なかったことや、自分自身が愛情不足だったのではと感じていたことを顧みて「あのときはごめんね」という話をすると、逆に「お母さん、あの時は頑張っていたね。」と嬉しくなる言葉を掛けてくれます。

小鳩グループでは、一人一人の子ども達が家庭的な愛情に包まれることを「一番大切なこと」として、会議等で共有しています。私たち保育者の愛情ある行動と気持ちが当グループの沢山の子ども達に届くよう、これからも日々の保育に努めて参ります。

 

小鳩グループ代表 山本 育子